36歳、夢食い獏を卒業したい

2020年9月1日、久しぶりに東京へ出ていた。

青山で打ち合わせが終わり、表参道方面へ路地を抜ける。奥まった場所にある店舗がいくつも閉店していて驚いた。大きなウィンドウを守るように貼られた建材が、夏の日差しでボロボロになっている。寂れた温泉街のよう。どきりとする。

他人事ではない。その前日にちょうど、長く付き合っていたクライアントと契約終了に向けた打ち合わせをしたばかりだ。じわりじわりと不景気の足音が聞こえてくる。青山まで来たのも自社の経営に関わる相談のためだ。やりたい仕事と売り上げのバランスが難しい。でも決めなくてはいけない。

途中、知ったお店が営業していてほっとした。特別な日だし何か買って帰ろうと店内を見渡す。大判の柄布、ちょうどいいサイズの平皿、オレンジ色のプリントが綺麗な風呂敷、茶道用の白い靴下、そしてなぜか竹のホウキも買った。

帰り道、鞄に収まらなかったホウキをぶらぶらと揺らしながら表参道を歩く。おしゃれなまちでそんなこと……みたいなプレッシャーは特に感じない。人も少ない。元気がない。

なんだか東京の魔法がとけてしまったみたいだ。と、黒いワンピースでホウキを抱えた魔女もどきのわたしが思う。千葉に向かいながら。

その日わたしは36歳になった。

誕生日ごとに書いてきたブログ記事シリーズも9本目。同僚お手製のカメグッズで祝われている28歳のわたしや、巨大な流しそうめんの横にいて浴衣姿で働く29歳のわたしからしたら、ずいぶんタフな場所に来たなぁと思う。気づいたら社長だし金髪だしコロナ禍だし家は2軒あるし。

32歳のとき、「野心は(まだ)持ち物にありません」という記事を書いた。「君に野心はないのか」と偉い人に飲み会で詰められ、無さすぎて泣いたという話だった。ところが今年、野心らしきものの芽生えを内に感じている。

思えば、わたしは昔から野心のある人というか、「見たい景色」をしっかり持つ人の側にぴたりと寄り添ってきた。こうあってほしい、こういう世界にたどり着きたい、そのためには道無き道を行ってやるぜ。……みたいな人。

まるで草むらをかきわけるような面倒な進路をいつも選んでしまうのは、強すぎる好奇心がやばすぎる野心を求めるからだった。

野心の宿り主は、経営者やリーダーの場合もあれば表現者の場合もある。そういった人達が望む景色を一緒に見通し、道中で起きる騒動をともに乗り越え、それこそ魔法のように変化する物事を、最前列で感じるのが喜びだった。自分の職能は、そのチケットを手に入れるための対価みたいなものだと思う。言ってしまえば、野心中毒で野心家ホッパー。それがわたし。

だけどその態度はどうなのだろう。タチの悪い消費なのでは? タダ乗りなのでは? と、ここへきて立ち止まっている。というか、心底腹を立てている。どんなに多様性や寛容性を掲げたって、未知のウイルスが現れるだけでこんなに脆く揺れてしまうわたし達と、それに対して何もできないわたしに。

何をやっているんだろう。なんで何もしてこなかったのだろう。あれでもないこれでもないと人様の人様による見たい景色や夢や野心を選り好みする前に、自分自身が現実の当事者として見たい景色を描くべきではないのだろうか? 小さくてもいびつでもいいから「こうしたい」を見定め、意思を発酵させて声に出し、人を巻き込み、形にしたほうがいいのではないか? そんな風に、自問自答する時間が増えた。わたしはこの怒りと焦りが混ざったような気持ちを、具体的な輪郭がない割に妙に強い動機を、「野心」と呼ぶことにした。

だから人の夢を食べる獏(バク)のように生きることは卒業したいと思う。まずはそこから。そしてふわふわと面白やさしい言葉で、自身の意思を誤魔化すこともやめたい。

具体的なことはこれからでいいから、捨てるものは捨てようと決めた本厄の宣言。……でした。

さて。